所詮この世のものは借り物だ。
ということを近頃実感。
親しい人や親戚が亡くなって
身の回りのものを1つも持って行けていないということに
改めて気がついた。
頭ではわかっているつもりだったが
実感として湧いてきた。
親しい人が残したものをその娘さんが使っていたり
他の人が引き継いでいたり
古くなったら使えないから捨てられたり。
持って行けるのは自分の考え方や
経験だけ。
ここにいる間、借りているだけ。
肉体も借りているだけ。この前ふと
『死ぬ時には肉体に「ありがとう」って思うかな?』と思って
あっそうか、その時に思うんじゃなく
今、思おうって思ったり。
手をみて ニギニギして手が動くのがありがたいなあって
シミジミ思ったり。
それが自然と湧いてくるのがいいね。
感謝しないといけないんじゃなくて
本当になんだかありがとうねって思えたってことです。
これもきっと自己肯定なんじゃないかな?
体ちゃん すまんね。
体に悪い変なもの食べて・・・
体がきちんとしていると精神も保てる。
精神がきちんとしていて体も保てる。
おそらくみんなもこの言葉、どこかで聞いてるんだよね。
でもさ なんかその言葉を自分のものにするとなんだか
開けてくるよ。
感覚が変わるというか・・・ね